三大戦い 222年
いりょうのたたかい

夷陵の戦い

関羽の仇を討つべく呉へ攻め入った劉備を、陸遜が火計で大破した戦い。蜀の国力を大きく傾けた。

時期
221年〜222年(章武元〜2年) 〜 222年夏
場所
夷陵(湖北省宜昌市(夷陵区))
結果
呉の勝利
兵力
蜀軍 数万(諸説)/呉軍 約5万
立脚点
正史
別名
猇亭の戦い

概説

222年、関羽を失い荊州を奪われた劉備が、その仇を報じるべく自ら大軍を率いて呉へ攻め入った戦い。迎え撃つ呉の若き都督・陸遜は、守勢に徹して蜀軍の消耗を待ち、長江沿いに長々と連なった劉備の陣営を火計で焼き払って大勝した。この敗戦で蜀は多くの将兵を失い、劉備は白帝城へ退いて程なく世を去る。三大戦いの最後を飾る一戦であり、蜀漢の命運を大きく左右した。

背景

219年、荊州を守っていた関羽が呂蒙の急襲によって敗死し、荊州は呉の手に落ちた。義兄弟の関羽を失い、要地荊州を奪われた劉備の怒りは深く、群臣の諌めを退けて呉への東征を決意する。221年に帝位に即いた劉備は、翌年 自ら大軍を率いて長江を下った。折しも出征を前に張飛も部下に暗殺され、劉備の悲憤はいや増す。蜀軍は緒戦で呉の軍を押し、長江沿いに数百里を進んで猇亭・夷陵の一帯まで攻め下った。

経過

迎え撃つ呉の大都督・陸遜は、蜀軍の勢いが盛んなうちは戦いを避け、険を頼んで守りに徹した。諸将は歯がゆく思ったが、陸遜は蜀軍の鋭気が鈍り、補給に苦しむのを冷静に待つ。夏の暑さに蜀兵が疲弊し、劉備が水軍を降ろして陣を林の中の涼所へ移すと、陸遜は好機と見た。兵に茅を持たせて一斉に火を放たせると、乾いた木々を伝って炎は四十余りの連営を次々に焼き払う。混乱する蜀軍へ呉軍が総攻撃をかけ、蜀は総崩れとなった。

結末と影響

劉備は馬鞍山に拠って踏みとどまろうとしたが支えきれず、夜陰にまぎれて白帝城へ落ち延びた。多くの将兵と物資を失った蜀の痛手は大きく、劉備は失意のうちに翌223年、白帝城で諸葛亮に後事を託して世を去る。夷陵の敗戦は、関羽の死・荊州の喪失に続く三重の打撃となり、蜀漢の国力を大きく削いだ。以後、蜀は諸葛亮のもとで呉と再び結び、国力の回復と北伐に望みをつなぐことになる。

逸話

大勝の報に沸く諸将の中で、陸遜はかえって慎重であった。蜀軍を追って白帝城へ迫ろうとする声もあったが、陸遜は魏が背後をうかがう危険を察し、深追いを戒めて兵を退いた。事実、魏はまもなく呉へ矛先を向けており、陸遜の判断は的確であった。『演義』では、追撃した陸遜が魚復浦で諸葛亮の遺した「八陣図」の石組みに迷い込み、辛くも脱するという伝説的な挿話が加えられている。

演義

『三国志演義』では、劉備の東征は義兄弟の情に殉じる悲劇として描かれる。関羽・張飛を相次いで失った劉備が、諸葛亮や趙雲の諌めを振り切って出陣する件は、物語の情感を大きく高める。若い陸遜が老練な劉備を焼き破る展開や、敗走する劉備を諸葛亮の八陣図が救う場面など、史実に創作を重ねて蜀漢の落日が情緒豊かに語られる。

本文に登場する武将 (言及)

ふとう(ふゆう)
傅彤
? – 222年

劉備の退却を助け、殿軍をかって忠義を貫いた武人

しょうちょう
向寵
? – 240年

公平で軍事に精通し、劉備・諸葛亮に認められた人物

呂蒙
りょもう
呂蒙
178年 – 219年
子明 

総司令官として荊州奪還に功績をあげた文武両道の武人

しゃせい
謝旌
生没年不詳

夷陵の戦いで敵将を撃ち破り、大活躍した武将

周瑜
しゅうゆ
周瑜
175年 – 210年
公瑾 

赤壁で曹操の野望を打ち砕いた奇才

かんねい
甘寧
生没年不詳
興覇 

孫権に「孟徳(曹操)には張遼がいて、私には甘寧がいる」と賞賛された勇将

りゅうあ
劉阿
生没年不詳

夷陵、荊州で防衛に当たったが敗れた武人

ちんしき(ちんしょく)
陳式
生没年不詳

劉備の東征に従って水軍を指揮し、北伐で先鋒を務めた将軍

せんうたん
鮮于丹
生没年不詳

荊州を巡って戦場を転戦し、副将として参加した武人

しゅうたい
周泰
生没年不詳
幼平 

孫権に「私が今在るのは、君のおかげだ」と云わしめ寵愛された将軍

ちょうほう
張苞
生没年不詳

関興と義兄弟を契り、夷陵の戦いで仇を討った勇猛な将

法正
ほうせい
法正
176年 – 220年
孝直  翼侯

劉備の蜀制覇に助力し、漢中攻略に貢献した参謀

諸葛亮
しょかつりょう
諸葛亮
181年 – 234年
孔明  忠武侯

三国志至上の軍略、政治家にして苦労人劉備を支える

ごはん
呉班
生没年不詳
元雄 

劉備の東征や諸葛亮の北伐に付き従った男伊達な武人

黄忠
こうちゅう
黄忠
? – 220年
漢升  剛侯

益州平定、漢中平定で活躍した老勇将

かんこう
関興
生没年不詳
安国 

若くから才能を評価され、諸葛亮から抜擢された人物

ばちゅう
馬忠
生没年不詳

関羽征討で、関羽父子と趙累を生け捕りにした武将

かんたく
闞沢
? – 243年
徳潤 

厳シュン、程秉と並びし学者の一人、博識で知られた政治家