191年
かいきょうのたたかい

界橋の戦い

麹義の弩兵が公孫瓚の精鋭騎兵「白馬義従」を破り、袁紹の河北統一を開いた戦い。

時期
191年(初平2年)
場所
冀州・清河(界橋)
結果
袁紹の勝利(公孫瓚の白馬義従を破る)
兵力
諸説あり
立脚点
正史

概説

191年、河北の覇権をめぐって袁紹と公孫瓚が界橋で激突した戦い。袁紹配下の麹義が、少数の精兵と強弩を伏せて、公孫瓚の誇る騎兵隊「白馬義従」を打ち破り、袁紹の河北統一への道を開いた。若き趙雲が初めて史書に姿を見せる戦いでもある。

背景

董卓の乱ののち、河北では袁紹と公孫瓚が勢力を争っていた。北辺で異民族を退けて勇名を馳せた公孫瓚は、白馬に乗った精鋭「白馬義従」を擁して南下し、袁紹に迫る。両者はついに界橋のあたりで決戦に及んだ。

経過

公孫瓚は騎兵の突撃力を頼み、白馬義従を先頭に袁紹軍へ襲いかかった。しかし袁紹の将 麹義は、八百の精兵に大盾を持たせて低く伏せさせ、千張の強弩を隠して敵を引きつける。騎兵が間近に迫ると、伏せていた兵が一斉に立ち上がって矢を浴びせ、突撃の勢いをくじいた。混乱した公孫瓚軍は総崩れとなり、麹義はそのまま追撃して公孫瓚の本営にまで迫った。

結末と影響

界橋の敗北で公孫瓚の勢いは陰り、以後 袁紹に押されて次第に後退していく。やがて公孫瓚は易京に籠って自滅し、袁紹が河北を統一した。少数の歩兵と弩が精強な騎兵を破ったこの戦いは、兵の運用しだいで数と勢いを覆せることを示す。なお、このとき公孫瓚に従っていた若き趙雲は、のちに劉備へ身を投じることになる。