190年
ころうかんのたたかい

虎牢関の戦い

反董卓連合と董卓軍の激突。演義では三英が呂布と、関羽が華雄と戦った。

時期
190年(初平元年)
場所
虎牢関(河南省鄭州市滎陽市(汜水鎮一帯))
結果
連合軍が董卓を洛陽から退けるも、内紛で解散
兵力
反董卓連合 十数万と号す/董卓軍 数万
立脚点
演義(正史では散発的)
別名
反董卓連合

概説

190年、董卓の専横に対し各地の群雄が連合軍を結成し、洛陽の東を守る要害・虎牢関で董卓軍と対峙した戦い。『三国志演義』では、董卓の猛将 呂布に劉備・関羽・張飛の三兄弟が挑む「三英 呂布と戦う」や、関羽が華雄を斬る「酒 温めて華雄を斬る」の名場面で彩られる。三国志の群雄が一堂に会した、物語の壮大な幕開けである。

背景

少帝を廃して権勢を握った董卓の暴虐に、天下の不満は高まっていた。190年、曹操の檄に応じ、袁紹を盟主として各地の太守・刺史が兵を挙げ、反董卓連合軍が結成される。連合軍は洛陽を目指して進撃し、董卓は要害の虎牢関・汜水関に兵を出してこれを食い止めようとした。

経過

史実では、連合軍の中でとりわけ勇戦したのは孫堅であった。孫堅は董卓の将を破り、華雄を討ち取って洛陽に迫る。追い詰められた董卓は、帝を長安へ移し、洛陽の宮殿・民家に火を放って西へ退いた。一方『演義』では、汜水関で華雄が連合の諸将を次々に打ち破るところへ無名の関羽が進み出て華雄を斬り、虎牢関では無双の呂布に劉備・関羽・張飛が三人がかりで渡り合う、という名場面に脚色されている。

結末と影響

董卓を洛陽から追ったものの、連合軍は足並みが揃わなかった。盟主 袁紹をはじめ諸将は自らの勢力の温存を図り、積極的に長安を追撃しようとしない。やがて内部の対立から連合は空中分解し、諸将はそれぞれの本拠へ帰って割拠の時代へと突入する。董卓討伐という大義のもとに集った群雄が、そのまま天下を争う競争者となっていった。

演義

『三国志演義』は、史実では孫堅の功であった華雄討伐を関羽の武勇伝に移し替え、また呂布との一騎討ちに劉備・関羽・張飛を投入して「三英戦呂布」の名場面を創り出した。無名の三兄弟が天下の猛将 呂布と互角に渡り合うこの場面は、彼らがやがて英雄へと駆け上がることを予告する、物語序盤の白眉となっている。