りゅうしん

劉諶

生没年? – 263年 所属蜀

降伏を拒み、一族とともに国に殉じた蜀の北地王

能力値
統率 E
武力 E
知力 D
計略 E
政治 E
人望 C
関連年表
— 後主・劉禅の五男として生まれる
259年6月 北地王に封じられる
263年 鄧艾が陰平の険を越え、綿竹を破って成都に迫る
263年 譙周が合理的な計算をもって降伏を主張し、劉禅が傾く
263年 「城を背にして一戦し、ともに社稷に死すべし」と訴える
263年 容れられず、劉禅が璽綬を送って蜀漢が降伏する
263年 その日、昭烈廟に詣でて哭し、祖業の絶えるを告げる
263年 廟前で妻子を手にかけ、自刃して国に殉じる
264年 兄の太子・劉璿が鍾会の乱の混乱のなかで殺される
後世 成都の漢昭烈廟に北地王として像が祀られる

略歴

劉諶は、蜀漢の後主・劉禅の五男である。景耀二年(259年)六月、北地王に封じられた。 景耀六年(263年)、鄧艾が陰平の険しい山道を踏破して江油に現れ、諸葛瞻の軍を綿竹で破って成都に迫った。もはや都を守る兵はない。 朝廷では、光禄大夫の譙周が降伏を強く主張した。呉へ逃げてもその呉はいずれ魏に滅ぼされる、南中へ退いても遅れて降れば待遇は悪くなる、いま降れば遇される——そういう冷徹な計算であった。後主・劉禅はこれに傾いた。 これに真正面から反対したのが劉諶である。『漢晋春秋』は、その言葉をこう伝える——「もし理が窮まり力が尽きて、禍敗がまさに及ばんとするのであれば、父子君臣そろって城を背にして一戦し、ともに社稷に死んで先帝にまみえるべきです。どうして降るのですか」。 だがこの訴えは容れられなかった。劉禅は璽綬を鄧艾のもとへ送り、蜀漢は降伏した。 その日、劉諶は祖父・劉備を祀る昭烈廟に詣で、声を上げて哭し、祖業の絶えることを告げた。そして廟の前で、まず妻子をみずからの手にかけ、続いて自らも命を絶った。 翌年、兄の太子・劉璿は鍾会の乱の混乱のなかで成都で殺され、他の兄弟はみな父とともに洛陽へ移されて、安楽公の一族として生きた。蜀漢の宗室のなかで、国とともに死ぬ道をみずから選んだのは、劉諶ただ一人であった。

逸話

劉諶が争ったのは、譙周という一人の学者であった。そしてその対立は、感情と理屈の衝突ではない。国にとって何が守るべきものかという、二つの答えの衝突であった。 譙周の降伏論は、冷徹なまでに合理的であった。呉へ亡命しても、その呉はいずれ魏に併呑される。南中へ退いても、追い詰められてから降るのでは待遇が悪くなる。いま降伏すれば、礼を保った扱いが得られる——そういう計算である。そして現実には、この計算は当たった。劉禅は安楽公に封じられ、洛陽で天寿を全うしている。降伏に反対した者たちは、誰も救われなかったが、降伏を選んだ者は救われたのである。 劉諶が訴えたのは、その計算に乗らない一点であった。「父子君臣そろって城を背にして一戦し、ともに社稷に死んで先帝にまみえるべきです」。勝てるとは言っていない。負けて死ぬことを言っている。守るべきは命ではなく、祖父が築いたものに対する筋であった。 容れられないと知った劉諶の行動には、順序がある。まず祖父・劉備を祀る昭烈廟へ向かい、そこで声を上げて哭し、祖業が絶えることを告げた。報告を済ませてから、妻子を手にかけ、そして自らを殺した。一族の命を絶つ前に、まず祖霊に筋を通している。 興味深いのは、この場面が正史『三国志』の本文には載っていないことである。後主伝は劉禅が璽綬を送ったことを記すだけで、息子の自決に触れない。この一幕を書き留めたのは、東晋の習鑿歯が著した『漢晋春秋』であり、裴松之がそれを注に引いたことで今日まで伝わった。蜀漢の正統性を重んじた習鑿歯が、どうしてもこの死を記録に残したかったのだと考えられる。 そして後世は、この死を忘れなかった。成都の漢昭烈廟——武侯祠として知られる劉備の廟には、いまも北地王・劉諶の像が祀られている。一方、降伏した父・劉禅の像は、後の世に取り除かれた。祖父の廟に残ることを許されたのは、国を明け渡した皇帝ではなく、その廟前で死んだ子のほうであった。 蜀漢の宗室で、みずから死を選んだのは劉諶ひとりである。兄の太子・劉璿は翌年、鍾会の乱の混乱のなかで殺され、他の兄弟は洛陽で安楽公の一族として生きた。

評価

劉諶は、なすすべなく滅びゆく蜀漢にあって、降伏を潔しとせず、一族もろとも国に殉じた、悲壮このうえない宗室である。大勢はもはや動かしがたく、その死が国を救ったわけではない。だが、祖業への忠と誇りを、死をもって示したその一途さは、亡国の物語のなかで、ひときわ痛切な光を放っている。 昭烈廟の前に散ったその最期は、蜀漢五十年の幕引きを、忘れがたいものにしている。

演義

小説『三国志演義』では、蜀の滅亡に際して降伏に猛反対する悲憤の王子として、感動的に描かれる。父・劉禅が降を決めると、昭烈廟に詣でて泣き、妻子を手にかけて自刃する。 亡国に殉じたその姿は、蜀漢の最期を飾る、屈指の悲劇の名場面として綴られている。
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