しばき

司馬徽

字徳操 生没年? – 208年 所属後漢

臥龍と鳳雛を世に薦めた、荊州の人物鑑定家「水鏡」

能力値
統率 F
武力 F
知力 B
計略 D
政治 E
人望 C
関連年表
後漢末 潁川に生まれ、のちに荊州へ移り住む
— 「清雅にして人を知る鑑あり」と評され、龐徳公から「水鏡」と名づけられる
— 桑の木の上から、木の下の龐統と昼から夜まで語り合う
— 龐統を「南州の士の冠冕となる」と評し、その名を世に出す
— 襄陽の向朗が師事し、徐庶・韓嵩・龐統と交わる
207年頃 劉備に「時務を識る者は俊傑にあり。この地に伏龍と鳳雛がいる」と告げる
— 正史の記述はこれらに尽き、生没年も明らかでない
後世 「好好先生」の逸話が語られる(正史・裴注には見えない)

略歴

司馬徽、字を徳操といい、潁川の人である。のちに荊州へ移り住み、襄陽の名士たちと交わった。 『三国志』は、その人物を「清雅にして人を知る鑑あり」と記す。清らかで気品があり、人を見抜く眼を備えていた、という評である。「水鏡」——澄んだ鏡のように人を映す——という呼び名を与えたのは、同じ襄陽の隠士・龐徳公であった。 その鑑識眼が一人の若者の運命を変えた場面が、正史に残されている。龐統が二十歳ばかりのころ、司馬徽を訪ねてきた。司馬徽は桑の木に登って桑を採っているところで、そのまま降りもせず、龐統を木の下に座らせて、昼から夜まで語り合った。語り終えた司馬徽は龐統を深く異才と認め、「この男は南州の士の冠冕となるだろう」と称した。この一言によって、それまで無名だった龐統は、しだいに世に知られるようになる。 劉備が荊州に身を寄せていたころ、世のありようについて司馬徽に訪ねたことがあった。裴松之が注に引く『襄陽記』は、その答えをこう伝えている——「儒生や俗士が、どうして時務を識りましょうか。時務を識る者は俊傑のうちにあります。この地には、伏龍と鳳雛がおります」。劉備が誰かと問うと、司馬徽は「諸葛孔明と龐士元です」と答えた。 弟子もあった。襄陽の向朗は司馬徽に師事し、徐庶・韓嵩・龐統と親しく交わった。この向朗はのち蜀に仕えて光禄勲に至り、晩年は経籍の校訂に力を注いでいる。 正史が司馬徽について記すのは、ほぼこの三つの記述に尽きる。生没年も明らかではない。人を世に送り出すことに徹し、自分自身は記録をほとんど残さなかった人であった。

逸話

桑の木の上から人を評した、というのが司馬徽の記録に残る唯一の実景である。 龐統が訪ねてきたとき、司馬徽は木に登って桑を採っていた。客が来ても降りてこない。龐統を木の下に座らせたまま、昼から夜まで語り合った。身分や作法をいっさい構わぬ隠士の暮らしぶりが、この一景に尽きている。そして語り終えると、「この男は南州の士の冠冕となるだろう」と断じた。 この評価の重みは、当時の龐統の立場を知ると見えてくる。龐統は若いころ、誰からも認められていなかった。その無名の若者を、桑摘みの合間に一日話しただけで「南方第一の士となる」と言い切り、実際にそれで世評が動いたのである。人を映す鏡、という意味の「水鏡」という呼び名は、誇張ではなかった。 劉備に対して語った言葉も、裴注の『襄陽記』に残っている。「儒生や俗士が、どうして時務を識りましょうか。時務を識る者は俊傑のうちにあります。この地には、伏龍と鳳雛がおります」。 ただし、正史の本文で劉備に「諸葛孔明は臥龍です」と告げたのは徐庶である。司馬徽が伏龍・鳳雛を挙げた話は、裴松之が注に引いた『襄陽記』が伝えるものにすぎない。『三国志演義』は、この裴注の一段を大きく膨らませ、道に迷った劉備が立ち寄る神仙めいた高士として司馬徽を描き、「いずれか一人を得れば天下を安んじられる」という名高い台詞まで与えた。諸葛亮の登場を焦らす舞台装置として、この隠士は格好の役を得たことになる。 よく知られる「好好先生」の逸話は、正史にも裴注にも見えない。後世の逸話集が伝えるところによれば、司馬徽は人の善悪を口にせず、何を聞かれても「好(よろしい)」と答えるだけであった。妻が「人がわざわざ尋ねているのに、あなたはみな好と言う。それでは問う意味がないではありませんか」と咎めると、司馬徽はこう答えたという——「あなたの言うことも、また好い」。現代の中国語で、何にでも是と言う無害な人物を「好好先生」と呼ぶのは、この話に由来する。 ただ、人の善悪を軽々しく口にしないという点については、正史の記述とも矛盾しない。司馬徽が明確な評を下した相手は、史料に残るかぎり龐統ひとりである。 その学問は、弟子を通して蜀へ渡った。襄陽の向朗は司馬徽に師事し、徐庶・韓嵩・龐統と親交を結んだ。向朗は劉備に仕えてのち光禄勲に至り、晩年は官を離れて経籍の校訂に力を注いでいる。師が荊州の山中で人を見出し、その弟子が蜀の都で書物を整えた。 司馬徽自身の記録は、桑の木の一景と伏龍鳳雛の一言しか残っていない。見出された者たちは歴史を動かし、見出した者はほとんど何も残さなかった。

評価

司馬徽は、みずから世に出て功を立てる道を選ばず、優れた人材を見抜いて世に送り出すことに徹した、稀有の人物鑑定家である。臥龍・鳳雛を世に薦めたその眼力は、まさに時代を見通すものであった。 激動の世にあって静かに身を処し、後進を導いたその生き方は、乱世における知識人の一つの見識を示している。

演義

小説『三国志演義』では、劉備が道に迷って草廬に立ち寄る場面などで、神仙めいた高士として登場する。劉備に臥龍・鳳雛の名を告げ、諸葛亮登場への期待を大いに高める役回りを担う。 その飄々とした佇まいと、確かな人物眼が、物語の序盤に深い彩りを添えている。
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