ほうとくこう

龐徳公

生没年生没年不詳 所属後漢

臥龍・鳳雛の名の親、仕えざる荊州の隠士

能力値
統率 F
武力 F
知力 C
計略 E
政治 F
人望 C
関連年表
後漢末 襄陽の峴山の南に住み、生涯城府に入らず夫妻で田を耕す
— 諸葛亮を「臥龍」、龐統を「鳳雛」、司馬徽を「水鏡」と名づける
— 誰も認めぬ甥の龐統を、ただ一人重んじる
— 諸葛亮が訪れるたび、床下での拝礼を受ける
— 留守中に司馬徽が家へ入り込み、妻子に食事を作らせる
— 劉表の再三の招きに応じず、ついに劉表が自ら訪ねてくる
— 鴻鵠と黿鼉を引いて「天下は保全すべきものではない」と答える
— 「世人はみな危うきを遺す。わたしは独り安らかなものを遺す」と説く
— 子の龐山民が諸葛亮の姉を娶る
— 妻子を連れて鹿門山に入り、薬草を採って帰らず
後世 唐の孟浩然が龐徳公を慕い、同じ鹿門山に隠棲する

略歴

龐徳公は、荊州襄陽の隠士である。峴山の南に住み、生涯一度も城府に足を踏み入れなかったと『後漢書』は記す。夫妻そろって田を耕し、自ら糧を得る暮らしであった。 人を見る眼にすぐれ、若い世代に名を与えた。諸葛亮を「臥龍」、龐統を「鳳雛」、司馬徽を「水鏡」と呼んだのは、いずれもこの龐徳公である。千八百年を越えて使われ続けている三つの呼び名は、すべて一人の隠士の口から出た。 龐統は、龐徳公の甥にあたる。若いころ龐統を認める者は誰もいなかったが、ただ龐徳公だけがこれを重んじたという。子の龐山民もまた令名があり、諸葛亮の姉を娶って魏の黄門吏部郎となったが早世した。その子・龐渙は、晋の太康年間に牂牁太守に至っている。 荊州牧・劉表は、その名声を惜しんでたびたび招いたが、龐徳公は応じなかった。ついに劉表はみずから訪ねてきて、こう問うた——「一身を保全するのと、天下を保全するのと、どちらが優れておりましょうか」。 龐徳公は笑って答えた。「鴻鵠は高い林の上に巣をかけ、日が暮れれば栖む所を得ます。黿鼉は深い淵の底に穴をあけ、夕べには宿る所を得ます。人の進退も去就も、人にとっての巣穴にすぎません。それぞれが栖み宿る所を得ればよいだけのこと。天下は、保全すべきものではありません」。 そう言って畝の上に鍬を置いた。前では妻子が草を取っている。劉表はそれを指さして重ねて問うた——「先生は畑に苦労して住まわれ、官禄を受けようとなさらない。後世、何をもって子孫に遺されるおつもりか」。 龐徳公は答えた。「世の人はみな、危ういものを遺します。いまわたしは独り、安らかなものを遺すのです。遺すものが違うだけで、何も遺さないわけではありません」。劉表は歎息して去ったという。 後に龐徳公は妻子を連れて鹿門山に入り、薬草を採って帰らなかった。

逸話

龐徳公が劉表に返した答えは、隠逸の思想を語る文章として後世くり返し引かれてきた。 「一身を保全するのと、天下を保全するのと、どちらが優れているか」と問われて、龐徳公はまず鳥と水棲の獣を引いた。鴻鵠は高い林の上に巣をかけ、暮れれば栖む所を得る。黿鼉は深い淵の底に穴をあけ、夕べには宿る所を得る。それぞれの生き物に、それぞれの収まる場所がある。人の進退も去就も、人にとっての巣穴にすぎない——そう言って、天下は保全すべきものではないと言い切った。 劉表はなお食い下がった。畑仕事に明け暮れて官禄を拒むのでは、子孫に何も遺せないではないか、と。これに対する答えが、この人の核心である。「世の人はみな、危ういものを遺します。いまわたしは独り、安らかなものを遺すのです。遺すものが違うだけで、何も遺さないわけではありません」。富貴とは危うさの別名であり、自分が子に渡すのは安らかさだ、という返しであった。荊州の主は歎息して帰るしかなかった。 そして実際、この人の遺したものは残った。千八百年のあいだ使われ続けている三つの呼び名——臥龍、鳳雛、水鏡——は、すべて龐徳公が名づけたものである。 その三人との距離も、それぞれに味がある。 諸葛亮は、龐徳公の家を訪ねるたびに、独り床の下で拝礼した。龐徳公はそれを止めさせなかったという。無位無官の隠士に対して、のちに一国の丞相となる青年が、終始その礼を崩さなかったことになる。 司馬徽との仲は、もっとくだけていた。あるとき司馬徽が龐徳公を訪ねると、主人は沔水を渡って先祖の墓参りに出ていた。司馬徽はかまわず家に入り込み、龐徳公の妻子を呼んで「急いで黍を炊いてくれ」と命じた。「徐元直がさっき言っていた。客が来て、わたしと徳公とで談論することになる、と」。妻子は堂の下に並んで拝礼し、走り回って食事を整えた。やがて帰ってきた龐徳公は、まっすぐ座敷へ入ってそのまま同席した——どちらが主人でどちらが客なのか、見ていた者には分からなかったという。 甥の龐統に対しては、見出す側に立った。若い龐統を認める者は誰もいなかったが、龐徳公だけは重んじていた。その龐統が司馬徽を訪ねて桑の木の下で一日を過ごし、「南州の士の冠冕」と評されて世に出ていく。叔父が見込み、友人が保証した、という経路であった。 子の龐山民は諸葛亮の姉を娶っている。徐州から流れてきた孤児の兄弟が荊州の名士社会に根を下ろしていく過程で、この家もまた結び目のひとつとなった。 晩年、龐徳公は妻子を連れて鹿門山に入り、薬草を採って帰らなかった。その五百年ほどのち、唐の詩人・孟浩然はこの龐徳公を慕って同じ鹿門山に隠棲し、「龐公の栖隠せし処」を詩に詠んだ。官に就かず山に入った隠士の生き方は、こうして次の時代の詩人の理想になった。

評価

龐徳公は、乱世に才を抱きながら、あえて世に出ることを求めず、悠々と身を全うした高士である。臥龍・鳳雛という不朽の呼び名を後進に与えたその眼力と、富貴を求めぬ清らかな生き方は、後世、隠逸の理想として仰がれた。 若者たちを見出しては世へ送り出し、みずからは山に隠れたその姿には、名利を超えた達観がにじんでいる。

演義

小説『三国志演義』では、荊州の隠士として、諸葛亮ら俊才を取り巻く名士群像の一人に位置づけられる。 臥龍・鳳雛の名の由来にまつわる逸話とともに、諸葛亮登場の背景を彩る人物として語られている。
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