そうぼう

曹髦

彦士 生没年241年 – 260年 所属

「司馬昭の心は路人も知る」と憤り、帝みずから討って散った悲運の君

能力値
統率 E
武力 E
知力 C
計略 E
政治 D
人望 C
関連年表
241年 文帝・曹丕の孫、東海定王・曹霖の子として生まれる
254年 司馬師が曹芳を廃し、十四歳で擁立されて帝位につく
254年 群臣の拝礼に答礼し、天子の車駕を辞して謙譲を示す
255年 司馬師が没し、実権が弟の司馬昭に移る
257年 諸葛誕の乱の平定に、司馬昭に奉じられて出征する
260年 「司馬昭の心は路人も知る」と憤り、討伐を決意する
260年 宿衛を率いて南闕へ討って出るが、成済の矛に弑される(享年二十)
260年 司馬昭は成済に罪を負わせて誅し、曹髦は庶人の礼で葬られる

略歴

曹髦、字を彦士といい、魏の文帝・曹丕の孫、東海定王・曹霖の子である。幼くして学問を好み、才知は群を抜いていた。まだ年若い頃から儒者と経義を論じ、詩文をよくしたと伝わる。 嘉平六年(254年)、大将軍・司馬師が帝・曹芳を「不徳」を理由に廃すると、白羽の矢が立ったのがわずか十四歳の高貴郷公・曹髦であった。都へ迎えられた曹髦は、群臣が拝礼しようとすると自分も答礼し、天子の車駕を辞して臣下の礼を守ろうとしたので、人々はその謙譲に感じ入ったという。即位ののちも太学に幸して博士たちと『易』『尚書』『礼記』を論じ、その問いの鋭さは学者を驚かせた。 だが実権は司馬師が握り、その死後は弟の司馬昭に受け継がれて、皇帝は名ばかりの存在に貶められていく。甘露年間には、諸葛誕の乱の平定に際して司馬昭が帝を奉じて出征するなど、曹髦は権臣の権威づけに用いられるだけの存在であった。長ずるにつれ英気を養った曹髦は、司馬昭が九錫を受けて簒奪へ進む気配を、もはや座視するに忍びなかった。 甘露五年(260年)五月、曹髦は侍中の王沈、尚書の王経、散騎常侍の王業を呼び、剣を抜いて憤然と言い放った——「司馬昭の心は、路人(道行く人)でさえ知っている。わたしは、坐して廃される辱めを受けるにしのびない。今日、卿らとともに自ら出て、これを討つ」。王経は多勢に無勢と諫めたが、曹髦は懐から詔を取り出して地に投げ、「もはや決めた。死んだとて何を恐れよう」と言って母后に告げに行った。王沈と王業はただちに司馬昭に密告する。 曹髦は宮中の宿衛や奴僕をかき集め、鼓を鳴らして自ら剣を執り、南闕へ討って出た。司馬昭の弟・司馬伷の兵は帝の威に押されて逃げ散ったが、中護軍・賈充が兵を率いて立ちふさがる。ここでも兵は天子に刃を向けるのをためらったが、賈充が太子舎人・成済に「公が卿らを養ったのは、まさに今日のためだ」と叱咤すると、成済は矛をとって突き進み、曹髦を刺し貫いた。刃は背まで達したという。皇帝がその臣下の手にかかって死ぬという、前代未聞の惨事であった。享年二十。司馬昭は世の非難をかわすため、手を下した成済に一切の罪を負わせて三族もろとも誅し、曹髦は庶人の礼で葬られた。

逸話

「司馬昭の心は路人も知る」——権臣の野心が誰の目にも明らかであることを言うこの成語は、曹髦のこの一言に由来する。「わたしは坐して廃される辱めを受けるにしのびない」と続けたその言葉は、勝ち目のないことを誰よりも本人が知りながら発せられた、決意の表明であった。 曹髦は詩文にも長けた。専横に苦しむ日々、彼は自らを池の底に潜む龍になぞらえて「潜龍の詩」を作ったと伝わる。井戸の底に潜んで泥鰌や鱔に戯れられ、天へ昇ることも野に遊ぶこともできぬ龍——その嘆きを読んだ司馬昭は、不快の色を隠さなかったという。 死の直前、王経ら三人に決意を告げたとき、諫めたのは王経ただ一人であった。王沈と王業はその場を辞去するや司馬昭へ駆け込んで密告している。事の後、司馬昭は密告した二人を侯に封じ、諫めながらも密告しなかった王経は、母もろとも誅された。王経の母は死に臨んで少しも色を変えず、かえって子を励ましたと伝わる。 弑逆の報を聞いた陳泰は、司馬昭に「賈充を斬って天下に謝すほかありません」と迫った。司馬昭が「それより軽い処置はないか」と問うと、陳泰は「これより重い策はあっても、軽い策はございません」と答えたという。結局、罪を負わされたのは実行者の成済だけであった。賈充はその後も重用され、やがて晋の建国の元勲となる。「公が卿らを養ったのは、まさに今日のためだ」——その一言を発した者が栄達し、天子を刺した者が三族を誅されたのである。

評価

曹髦は、傀儡の地位に甘んじることを潔しとせず、勝算なきを承知で身をもって権臣に抗した、悲壮の帝である。「司馬昭の心は路人も知る」の一語は、権臣の野心が誰の目にも明らかであったことを鋭く突く名言として、後世に広く伝わった。 その死は、司馬氏の簒奪の非道を天下にさらすと同時に、抗いようのない大勢の前に散った若き君主の気概を、深く印象づけた。

演義

小説『三国志演義』では、司馬昭に実権を奪われた無力な皇帝として登場する。専横に耐えかね、「司馬昭の心は路人も知る」と叫んで、わずかな手勢で討って出る。 だが成済の矛にかかって落命する。皇帝が臣に弑されるこの一件は、司馬氏の簒奪を象徴する場面として描かれている。
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