城・都市
がっぴ / 合肥

合肥

張遼が孫権を退けた魏の対呉最前線。

種別
城・都市
現在地
安徽省合肥市
所属州
揚州
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

淮水と長江の間、揚州北部に位置する交通の要衝。魏にとっては呉の北上を食い止める最前線の要塞であり、孫権はこの城を再三にわたって攻めた。中でも215年、張遼がわずかな兵で孫権の大軍を破った逍遥津の戦いの舞台として名高い。

歴史

合肥は魏の対呉防衛の要として、たびたび呉の攻撃にさらされた。215年、曹操が漢中へ遠征した隙をつき、孫権が十万と号する大軍で合肥に迫ると、城を守る張遼は八百の決死隊で逆襲し、退却する孫権を逍遥津の橋際まで追い詰めて武名を轟かせた。その後も孫権や諸葛恪が合肥・合肥新城を攻めたが、満寵・張特らの守りは固く、ついに呉がこの城を抜くことはできなかった。合肥は、呉の北進を阻み続けた魏の南辺の楯であった。

現在

合肥は現在の安徽省合肥市にあたり、安徽省の省都となっている。市の中心部には、逍遥津の戦いを伝える逍遥津公園があり、張遼をしのぶ史跡が残る。