関所
こかん / 壺関

壺関

并州・上党を守る要害。曹操が高幹の乱を鎮めた地。

種別
関所
現在地
山西省長治市壺関県
所属州
并州
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

并州の上党郡を守る要害で、太行山脈の険を背にした関。地形が壺の口のように狭まることからその名がついたと伝わる。206年、袁紹の甥・高幹が上党で叛くと、曹操は自ら軍を率いてこの壺関を攻め、河北平定の総仕上げとした。

歴史

官渡の戦いののち袁氏を追い詰めていた曹操に対し、袁紹の甥で并州刺史の高幹が上党に拠って再び兵を挙げた。206年、曹操は険しい太行の山道を越えて壺関を包囲する。城は容易に落ちず攻囲は長引いたが、やがて高幹は城を捨てて逃れ、匈奴へ援けを求める途上で捕らえられて斬られた。上党の平定により、曹操は河北一帯の抵抗をほぼ収め、北方の後顧の憂いを断った。

現在

壺関は現在の山西省長治市壺関県にあたる。太行山脈の西麓、上党盆地の東の入口を扼する地であった。