関所
めんちくかん / 綿竹関

綿竹関

成都の最後の楯。鄧艾に諸葛瞻が敗れ蜀滅亡を招いた関。

種別
関所
現在地
四川省徳陽市綿竹市
所属州
益州
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

成都盆地の北を守る、都のいわば最後の楯となった関。263年、剣閣を迂回して険路・陰平を踏破した魏の鄧艾がここに迫り、諸葛亮の子・諸葛瞻の軍を破ったことで、蜀漢は都を守る術を失い滅亡へと向かった。

歴史

263年、魏の鍾会の大軍が姜維に剣閣で食い止められている間、別働の鄧艾は人跡まれな陰平の山道を踏み越えて益州の腹背へ抜け、綿竹へ迫った。迎え撃ったのは諸葛亮の子・諸葛瞻とその子・諸葛尚である。鄧艾は使者を送り、降れば王に取り立てると誘ったが、諸葛瞻は使者を斬って戦いを選んだ。しかし衆寡敵せず、諸葛瞻・諸葛尚の父子はともに討ち死にし、綿竹は落ちる。成都への道が開かれると、後主・劉禅はほどなく降伏し、蜀漢は滅んだ。

現在

綿竹関は現在の四川省徳陽市綿竹市にあたる。成都平原の北縁に位置し、都を守る最後の防衛線であった。