関所
ようへいかん / 陽平関

陽平関

漢中の西の門。曹操の漢中平定・劉備の漢中争奪の要となった関。

種別
関所
現在地
陝西省漢中市勉県
所属州
益州
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

漢中盆地の西の入口を守る要害で、関中・隴右方面から漢中へ攻め入る者を阻む門であった。215年に曹操が漢中の張魯を降す戦い、219年に劉備が曹操から漢中を奪う争奪戦のいずれでも、陽平関一帯が攻防の焦点となった。

歴史

215年、曹操は自ら大軍を率いて漢中へ進み、張魯の弟・張衛が守る陽平関を攻めた。関は堅く、曹操は一度は攻略を諦めかけたが、夜半に自軍の一隊が偶然敵陣へ迷い込んで混乱を誘い、これに乗じて関を抜いたと伝わる。張魯は降り、漢中は曹操の手に落ちた。219年には形勢が逆転する。劉備が漢中へ攻め上り、定軍山で老将・黄忠が魏の名将・夏侯淵を討ち取ると魏軍の士気は大きく崩れ、曹操は自ら出馬したものの支えきれず、ついに漢中を放棄した。劉備はこの勝利により漢中王を称するに至る。

現在

陽平関は現在の陝西省漢中市勉県の西にあたる。漢水上流の谷が開ける地で、すぐ南には夏侯淵が討たれた定軍山がある。