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三国志入門


六章:曹操の台頭

ここからは、三国志の主要人物、曹操と劉備について語りたいと思います。

まず三国志で中原を制し大国魏の礎を築いた曹操について

曹操は幼い頃から徒党を組み、大変評判がよく慕われる人物でした。先祖は漢の高祖(劉邦)に仕えていた夏侯嬰と云われており、曹操の祖父曹騰(そうとう)が父曹嵩(そうすう)を養子にしたことにより、曹家の跡継ぎとして生まれたのでした。

曹家も漢の功臣・曹参(そうしん)の末裔であり、両家家柄共に漢の名門であることは間違いありません。ある日、曹操は友人の勧めで人相見の許劭(きょしょう)を訪れ人相を見てもらいました。結果、許劭曰く「治世の能臣、乱世の奸雄」と評され、天下が乱れれば災いを招く英雄と云われたそうです。

曹操は僅か十代で宮廷の警備隊長に就任し、相、太守などを歴任して黄巾の乱では朱儁(しゅしゅん)軍と共に乱を平定して西園八校尉に選ばれ、出世街道を歩んでいました。

董卓の恐怖政治時代も董卓に重要されながらも、暗殺を目論み失敗、陳留で旗揚げして反董卓連合軍で惨敗しますが、陳留で彼は優秀な人材をどんどん採用し取り入れ、磐石を築いていくのでした。

曹操が人材を大事にするようになった背景が、戯志才(ぎしさい)という人物がいました。彼は正史のみしか登場せず、曹操が大変信頼し、磐石となった土台は彼のお陰であると想像します。その後、荀イク(じゅんいく)、荀攸(じゅんゆう)、程イク(ていいく)、郭嘉(かくか)などが集まり、大国を築くことになります。

曹操は、陳留を拠点として、周囲には盟国の張バク、張楊らがいましたが、北方の袁紹は張バクと仲が非常に悪く、その仲介をもっていたのが曹操でした。

しかし、共に戦った盟友同士、袁紹と曹操が対立することに…

そして劉備は乱平定後に、県令に就任するのですが、帝の督融(とくゆう)が賄賂を求めてきたために、怒りに荒れた張飛が督融を木に縛り吊るして暴行したことにより役人に追われることになります。

その後、反董卓連合に参加し、放浪の末に同郷の門下生、公孫サン(こうそんさん)を頼り、黄巾残党が反乱を起こすと、孔融(こうゆう)や陶謙(とうけん)らの助太刀に向かうなど転々とします。

徐州の陶謙は偉く劉備を気に入り、暫く陶謙の元で世話になるのでした。しかし、これが曹操を最大の敵として、そして永遠のライバルとして生涯戦う運命となるのです。

この二人の運命は大きく左右され、曹操は中原を制覇し、劉備は国をまだ持たない流浪を続け三国時代の中盤に話は進みます。

さて、曹操はどのようにして中原を制覇するのか、呂布との戦い、袁紹との天下分け目の戦いをお話したいと思います。