219年
かんちゅうそうだつせん

漢中争奪戦

劉備が曹操から漢中を奪った戦い。定軍山で黄忠が夏侯淵を討ち取った。

時期
217年〜219年(建安22〜24年) 〜 219年
場所
漢中(陝西省漢中市)
結果
劉備の勝利(漢中を得て漢中王を称す)
兵力
諸説あり
立脚点
正史
別名
定軍山の戦い

概説

217年から219年にかけて、劉備と曹操が漢中の領有をめぐって争った大戦役。法正の献策のもと、定軍山で老将 黄忠が魏の名将 夏侯淵を討ち取ったことが決定打となり、劉備はついに漢中を手中に収めた。この勝利によって劉備は漢中王を称し、蜀漢建国への道を確かなものとする。

背景

215年に曹操が張魯を降して漢中を得ると、益州を得たばかりの劉備にとって、漢中は喉元に突きつけられた刃となった。漢中は益州の北の玄関口であり、これを敵に握られては都 成都も安泰でない。劉備は法正の進言を容れ、漢中の奪取に乗り出した。

経過

劉備軍は険しい地形を利して曹操方と一進一退の攻防を続けた。219年、劉備は法正の策に従って定軍山に陣を進める。高所を占めた蜀軍に対し、魏の総帥 夏侯淵は麓の防柵の修復に出たところを急襲された。老将 黄忠が鼓を鳴らして一気に攻め下り、夏侯淵を斬ると、総帥を失った魏軍は大きく崩れる。自ら大軍を率いて出馬した曹操も戦況を挽回できず、趙雲が寡兵で魏の大軍を退けた「空営の計」なども重なって、ついに漢中の放棄を決めた。

結末と影響

曹操は撤退に際し、合言葉に「鶏肋(鶏のあばら。食べる所は少ないが捨てるには惜しい)」と口にし、進むも退くも決しかねる胸中をのぞかせたと伝わる。漢中を得た劉備は219年、群臣に推されて漢中王を称し、その勢威は絶頂に達した。益州と漢中を併せ持ったことで、蜀は北伐の足場を得る。三国鼎立の形勢は、この漢中争奪の勝利によって一段と確かなものとなった。

逸話

定軍山の攻防のさなか、趙雲は寡兵で魏の大軍に囲まれると、あえて陣門を開いて旗を伏せ、静まり返って敵を迎えた。伏兵を疑った曹操軍がためらって退くところを、趙雲は太鼓を打ち鳴らして追い討ちをかけ、大いに破ったという(空営の計)。劉備はこれを聞き、「子龍は一身すべてこれ胆なり」と激賞したと伝わる。