214年
えきしゅうへいていせん

益州平定戦

劉備が劉璋を破り蜀の地を得た戦い。軍師 龐統を雒城で失いつつ成都を降した。

時期
211年〜214年(建安16〜19年) 〜 214年
場所
成都(四川省成都市)
結果
劉備の勝利(劉璋が降り益州を得る)
兵力
諸説あり
立脚点
正史
別名
入蜀

概説

211年から214年にかけて、劉備が益州牧 劉璋を破り、蜀の地を手中に収めた戦い。劉璋に招かれて入蜀した劉備が、やがて袂を分かって成都を目指す。軍師 龐統を雒城で失う痛手を負いながらも、荊州からの援軍と馬超の帰参を得て成都を包囲し、劉璋を降した。蜀漢建国の基盤が、この平定戦によって築かれた。

背景

漢中の張魯の脅威に悩む益州牧 劉璋は、211年、同族のよしみを頼んで劉備を蜀へ迎え入れた。しかし劉備の器量を恐れる声もあり、やがて両者は決裂する。龐統は「今こそ益州を取るべし」と説き、劉備は南下して成都を目指した。

経過

劉備軍は葭萌関から兵を返し、涪城・雒城と要地を攻め落としながら成都へ迫った。しかし堅城 雒城の攻防は一年近くに及び、その途上で軍師 龐統が流れ矢に当たって落命する。俊才を失った劉備は、荊州から諸葛亮・張飛・趙雲を援軍に呼び寄せた。張飛は江州で老将 厳顔を義に感じ入らせて降し、諸葛亮・趙雲とともに各地を平定して成都へ集う。折しも漢中の張魯のもとを離れた馬超が劉備に帰参し、成都の城下に現れると、その威名に城内は震え上がった。

結末と影響

214年、包囲された劉璋はこれ以上の犠牲を避けて降伏し、益州は劉備の手に帰した。天険に守られた肥沃な蜀の地を得たことで、劉備はついに確たる本拠を持つ。荊州と益州を併せ、諸葛亮の説いた「天下三分の計」が現実の形をとりはじめた、蜀漢飛躍の戦いであった。