関所
どうかん / 潼関

潼関

曹操が馬超・韓遂を離間の計で破った関中の東の門。

種別
関所
現在地
陝西省渭南市潼関県
所属州
司隷
時代範囲
後漢末〜三国期
別名
潼關

概要

黄河が渭水を合わせて南へ折れる地点、華山の北麓に置かれた関中(かんちゅう)の東の玄関。後漢末には東方の要害・函谷関に代わって関中防衛の最前線となり、211年には曹操が馬超・韓遂ら関中連合軍とこの地で激突した。

歴史

211年、曹操が漢中の張魯討伐を名目に軍を西へ進めると、身の危険を感じた馬超・韓遂ら関中の諸将十部が兵を挙げ、潼関に拠って曹操を迎え撃った。曹操は渭水の渡河に苦しみ、矢の雨の中を許褚に守られて舟で逃れる危地も演じたが、やがて渭水を渡って対岸に陣を築く。決め手となったのは賈詡の献策による離間の計だった。曹操は韓遂へ宛てた手紙をわざと塗り消して馬超に疑心を抱かせ、両者の間に亀裂を生じさせる。連携を欠いた連合軍は総攻撃の前に崩れ、馬超は涼州へ、韓遂は西へ敗走した。

現在

潼関は現在の陝西省渭南市潼関県にあたる。黄河と華山に挟まれた天険で、長く関中と中原を分ける戦略上の要として重んじられた。