古戦場
おうてい / 猇亭

猇亭

陸遜が劉備の連営を焼いた「夷陵の戦い」の主戦場。

種別
古戦場
現在地
湖北省宜昌市猇亭区
所属州
荊州
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

222年(章武2年)、関羽の仇を討つべく呉へ攻め込んだ劉備を、呉の陸遜が撃破した「夷陵の戦い(猇亭の戦い)」の主戦場。陸遜は長期の対陣で蜀軍の消耗を待ち、林間に長々と連ねた劉備の陣営(連営)を火計で焼き払って大勝した。蜀は多くの将兵を失い、劉備は白帝城へ逃れて程なく世を去った。

歴史

関羽を失い荊州を奪われた劉備は、群臣の諌めを退けて自ら大軍を率い、呉へ東征した。緒戦は蜀が優勢に進み、長江沿いに数百里、猇亭から夷陵にかけて陣を連ねる。迎える呉の若き都督・陸遜は、あえて守勢に徹して蜀軍の鋭気が鈍るのを待った。夏の暑さに蜀兵が疲弊し、劉備が水陸の陣を林の中へ移すと、陸遜は好機と見て総攻撃を発する。兵に茅を持たせて火を放たせると、乾いた木々を伝って炎は四十余の連営を次々に焼き、蜀軍は総崩れとなった。劉備は馬鞍山に拠って踏みとどまろうとしたが支えきれず、夜陰にまぎれて白帝城へ落ち延びる。この大敗で蜀の国力は大きく傾き、劉備は失意のうちに翌年崩じ、後事を諸葛亮に託した。

現在

猇亭は現在の湖北省宜昌市猇亭区にその名を残す。長江が三峡を抜けて平野へ出るあたりの要衝で、上流の白帝城(重慶市奉節県)とあわせて、劉備最後の戦いの跡をたどることができる。