古戦場
しょうようしん / 逍遥津

逍遥津

張遼が八百騎で孫権の大軍を退けた「合肥の戦い」の地。

種別
古戦場
現在地
安徽省合肥市(逍遥津公園)
所属州
揚州
時代範囲
後漢末〜三国期

概要

215年、魏の張遼がわずかな手勢で孫権の大軍を撃退した「合肥の戦い(逍遥津の戦い)」の舞台。張遼は八百の決死隊で十万と号する呉軍に斬り込み、退却の際には逍遥津の橋上で孫権をあわや討ち取る勢いで追い詰めた。張遼の武名は江東を震わせ、「遼来来(張遼が来るぞ)」の一言で泣く子も黙ったと伝わる。

歴史

曹操が漢中へ遠征した隙をつき、孫権は自ら大軍を率いて合肥に迫った。城を守るのは張遼・楽進・李典らわずかな守兵である。曹操が残した密書の計に従い、張遼は夜のうちに決死の八百人を募り、翌朝みずから先頭に立って呉軍の陣へ突入した。張遼は孫権の本陣近くまで斬り込み、呉の将兵を数多く討ち取っていったん城へ引き揚げる。この奇襲で呉軍の士気はくじけ、十余日の攻囲ののち孫権は撤退を始めた。張遼はすかさず追撃し、逍遥津の北で殿軍となった孫権を包囲する。橋の板はすでに落とされていたが、孫権は馬に鞭打って跳び越え、辛くも虎口を脱したという。

現在

逍遥津は現在の安徽省合肥市の中心部にあり、「逍遥津公園」として整備されている。園内には張遼を記念する塚や像が置かれ、往時の激戦を今に伝えている。