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三国志入門


十二章:水鏡と単福

中原と北方、そして東海と首都全域を制覇した曹操は天下に敵無しとされておりました。

劉備は未だ城を持たず、荊州の劉表を頼り古城新野を借りて主城として、将来に安泰は見せません。しかし、劉備の人徳は荊州においても響いており、多くの人が集まり、劉表として面白くなく、また劉表軍の蔡瑁に命を狙われる始末でした。

演義では劉備はある日、蔡瑁に追われ山中に隠れると偶然にある屋敷を発見しました。そこには水鏡先生と呼ばれる人物が住んでおり、天下について語り合い、水鏡先生は問いました。「劉玄徳殿には、人徳世間には知れ渡っているが、強兵を持たぬ」
すると劉備は「関羽張飛趙雲らは天下に聞こえし豪傑。何が足りませんでしょうか」

水鏡先生は「武のみ持って力は制することできません。知略政治で民を救い、武を動かす人材、軍略が必要なのです」

劉備はすぐに悟り今すべきこと、そして何が足りないかを問いました。しかし、水鏡先生は黙って微笑み、臥龍(がりょう)鳳雛(ほうすう)の存在を話すのでした。

臥龍、これは諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)
鳳雛、これはホウ統士元(ほうとうしげん)

どちらか一人でも手中にできれば天下を取れると・・・。

そして劉備は翌日、新野に戻りますます悩むばかりで、天下広しといえども、曹操に対抗できるのか自問自答するばかりです。するとある朝、劉備の屋敷の前を歌いながら歩く男がいました。

「天下広しとも、欲する人物現れず・・・逆賊討ち天下泰平の夢叶わぬかな」

劉備はすかさずその人物を引き止めました。すると彼は単福(ぜんふく)と名乗り、兵法軍略政治について語り、劉備は大きく心を打たれ、ここに劉備軍初の軍師が誕生するのでした。

単福はとても優秀で、新野の軍事に力を注ぎ政治に渡っても幅広く活躍し、劉備一同、彼に全幅の信頼を置くのです。

そして数ヵ月後、ついに曹操は逆賊を掲げて劉備討伐を起こし、大軍を持って曹仁に攻め込ませました。劉備は慌てて単福に相談すると、既に認知していたかのように、関羽、張飛、趙雲らに指示をし、素早く兵を動かし、わずか三千の兵で、曹仁軍10万破る偉業をなしました。

それを知った曹操は、すぐさま劉備の軍師単福の存在を知り、彼の母を呼び寄せ人質当然な手紙を単福に差し出すのです。単福は素直にこれを劉備に相談すると、「すぐに行っておあげなさい、親を思わぬ子がどこにいようか」と許し、劉備家臣らが猛反対するも、劉備は快く単福を行かす決断を決めました。単福も涙を流しながら、新野をあとにします。

しかし単福は一時すぐに引き返し劉備に言いました。「私の本名は徐庶(じょしょ)字を元直(げんちょく)と申します。偽名はある罪を逃れるためであり、主君を欺くためではありません」そして、劉備に臥龍が新野に住んでいることを告げ、別れの土産としたのです。

劉備は驚き、すぐにでも臥龍を丁重に迎え軍師として天下のために力を貸して欲しいと願うばかりです。

次回はついに天下の名軍師、諸葛亮孔明が登場します。