三国志入門
----三国志とは人生において一部であり、人生において学ぶべき道しるべである。
初めての三国志
三国志にご興味いただきまして誠にありがとうございます。
今後とも、当サイトを通じて三国志とは何か、三国志を通じて楽しく、そしてその物語をお伝えできればと思っております。
私にとって三国志とは、人生の一部であり、多くを学ぶきっかけとなりました。
それは人物の考え方が今日、また将来にも深く通じるものがあり、数々の歴史文献や、多くの偉人など、歴史書物を漁ってきましたが、やはり私は三国志の魅力に取り付かれ、20年余り研究をして参りました。
その素晴らしい三国志を皆さんに楽しく、そして興味のある人に知っていただきたいと思い、このサイトを立ち上げたのです。
三国志入門において、初心者でも解り易くお伝えしていきたいと思います。
まずは序章として、三国志とは何?から記していきましょう。
そもそも「三国志」という名前は誰でも聞いたことあるでしょう。幼少から大人まで男女問わず、中身を知らなくても「三国志」という存在を知ってると思います。
「三国志」とは、「西遊記」「水滸伝」と並ぶ中国三大奇書の一つであり、実際に起きた歴史であります。
三国志の魅力は、何と言っても人物です。将校(位のある人物)からしておよそ4800名とも伝えられており、その個性豊かな人物が伝えられております。
日本で初めて三国志が伝えられたのは、江戸時代とも云われており、三国志演義が浸透しました。明治時代において、三国志正史・小説などが書かれた分厚い歴史文献書として日本語に訳された大変貴重な書物があります。
三国志とは三国が覇権を争い、天下統一を目指した歴史を元に、小説や物語として脚色された「三国志演義」、歴史そのままを伝えた「三国志正史」に分かれます。
時代は、中国後漢(ごかん)より始まり、西暦184年頃から280年までの三国が対立したものであり、当時の時代背景を残した陳寿(ちんじゅ)という人物が「三国志」と名づけたのです。
その対立した三国とは、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)という国です。
まず、「三国志演義」が日本では有名です。小説として、蜀の国を築き上げた主人公・劉備玄徳(りゅうびげんとく)を中心に物語りは進みます。
さて、この劉備玄徳、4文字の名前ではありません。三国志時代だけではないのですが、古代中国時代では、姓名・字(あざな)に分けられます。
姓:劉
名:備
字:玄徳
日本でいうと、山田太郎は、山田が姓で太郎が名になりますが、古代中国では字(あざな)というものが存在しました。
字とは、簡単にいうと通称名ですね。親もしくは親に相当する人以外からは、名前で呼ぶことはありません。ましてや目下の人が、その相手に名前で呼ぶことは失礼であり、この場合、通称名で呼ぶことになります。
自分で名乗るときも、「劉玄徳と申す」のように名乗ります。この辺りの深い説明はまた後ほどたっぷり説明します。
三国志演義で、この劉備が物語の主人公として、苦労の末に三国の一角である蜀を建国するという、苦労話と人情が描かれております。そして彼のその死後、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)という当代一の天才として有名な人が第二の主人公となります。
この諸葛亮孔明も有名ですね。諸葛孔明という呼び方でのほうが馴染みのある人が多いかもしれません。彼に関する書物も数多く存在します。
三国志演義という小説でもっとも有名なのが、吉川英治(よしかわえいじ)作の三国志かと思います。
演義と正史の違いは
演義:劉備が主人公で、脚色された物語風。つまり、劉備のサクセスストーリーですね。
正史:事実の歴史を元に魏の曹操が主体で動いてます。これについての詳細はまた後ほど。
さて、三国志演義とはどのような物語なのでしょうか。
それはまた次章にて。