司馬昭は蜀を滅ぼし、あとは呉を残すのみとなりました。
皇帝に擁立した曹髦が司馬昭に反感したことに殺害し、またもや皇帝が入れ替わって曹奐(そうかん)が即位しておりました。
曹奐は度々、司馬昭を相国に任命しますが、司馬昭はそれを頑なに固辞していました。しかし、蜀を滅びした功績により相国・晋王に奉じられ、かつての曹操以来、臣下が王を賜ることになったのです。
呉では陸遜の子・陸抗(りくこう)が柱石を担い、呉軍は滅んだ蜀を奪おうと攻め込みますが、旧蜀臣の羅憲(らけん)に阻まれ失敗します。
呉内部でも内政腐敗が続き、孫晧(そんこう)が皇帝となっておりました。孫晧は悪政で民を苦しめ、重税により暴動が起きたり、無駄に大金を使って遷都とを繰り返して財政破綻寸前に追い込んでしまうなど、呉も風前の灯と云えたのです。
魏の司馬昭が蜀を滅ぼして5年後死去し、司馬炎(しばえん)が晋王となったのです。すると同年、魏の皇帝から帝位を簒奪して魏を滅ぼし、晋(しん)を建国しました。
ここに蜀、魏が滅ぶことになります。
呉の最後の柱石である陸抗が早世すると、司馬炎はついに呉討伐軍を起こします。晋の名将・杜預(どよ)を筆頭に、蜀を統治していた王濬が最強の戦艦隊とも呼べる水軍を指揮し、破竹の勢いをもって、呉の首都・建業(けんぎょう)を包囲して降伏させます。
280年、これにて呉は滅び、晋が天下を統一することになったのです。
黄巾の乱から群雄割拠時代へ、あれからおよそ100年後に天下統一したのは三国の魏・呉・蜀ではなく、晋という国によって治められるのでした。
数多くの群雄らが天下を目指し、覇権を争う結末は意外な展開で幕を閉じることになりました。
三国志入門では、三国志演義ベースで物語を追い、正史での違いを微妙に伝えてきました。まだ三国志の深さ、面白いエピソードは沢山あります。これを足がかりに三国志をもっと堪能して楽しんでいただければ幸いです。
あなたの心に残った三国志とはいったいどのようなものになったのでしょうか。