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姓名 | 牛輔 |
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字 | --- |
生没年 | 生没年不詳 |
所属 | 後漢 |
能力 |
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推定血液型 | 不明 |
諡号 | --- |
伝評 | 董卓の娘婿として重用され、部下に裏切られて殺された人物 |
主な関連人物 | 董卓 |
関連年表 |
189年 中郎将となる |
牛輔といい、字も出身地も不明である。
董卓が中央で権力を掌握すると、女婿ということで重用され、中郎将に任じられた。
190年2月、董卓が長安へ遷都したとき、牛輔は陝に駐屯して東方に備えた。この時に李傕・郭汜・張済らが牛輔の指揮下に加わった。
192年、牛輔は、校尉李傕・郭汜・張済ら歩騎数万を率いて、河南尹の朱儁を中牟で撃破した。勢いに乗って彼らは陳留・潁川諸郡に進み、「軍が通り過ぎた後に生き残った人はいない」言われる程の殺戮を行なった。
同年4月、王允と呂布は董卓謀殺に成功し、呂布は詔命によって李粛に牛輔を討たせた。しかし李粛は牛輔に敗れ弘農に奔り、起こった呂布に誅殺された。
ある夜、牛輔は兵士の中で、叛乱を起こして逃亡する者がでた。牛輔は驚愕のあまり、兵士全員の叛乱だと勘違いした。急いで金宝を手にし、以前から厚遇してきた攴胡赤児ら五、六人とともに城壁を乗り越え、黄河を渡って逃走しようとした。
牛輔は部下の攴胡赤児らに急いで家宝全てを与え、自分は二十余枚の延金と大きな真珠の首飾りを携えた。攴胡赤児は牛輔に「城北にはすでに馬を用意してあります。これで逃げましょう」と言い、彼の腰の縄を結わえて城壁から下ろした。そして地上に達する前に縄を放すと、牛輔は腰を打って動けなかった。
攴胡赤児らは牛輔を殺して金宝を奪い、彼の首を長安の王允・呂布の許に送った。享年不明。
牛輔は早とちりで逃げ出そうとしながら、欲だけは忘れなかったのが仇となり、飼犬に手を噛まれるどころか、首まで奪われてしまった。
牛輔は董卓が殺されてからは、神経虚弱気味だったようである。王沈の『魏書』によると、牛輔は怯えて仕事も手につかず、不安に駆られていたたまれない様子だった。常に兵符を握りしめ、傍らに処刑台を置いて、自分を力付ようとしていた。客が訪れると、まず人相見に叛逆の気配の有無を占わせ、また筮竹を使って吉凶を占ってから、やっと会見したという。
『三国志演義』でも登場するが、上記の人物像については触れていない。李粛を破った後に呂布の攻撃で大敗したため、李傕らを見捨て逃げ出そうとしたが、胡赤児(正史の攴胡赤児)に裏切られ殺されている。