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魏伝


侯成 こうせい

姓名侯成
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生没年生没年不詳
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評呂布に罵倒され恨み、曹操に寝返った八健将の一人
主な関連人物 宋憲 魏続 
関連年表 不明

略歴

侯成といい、字も出身地も不明である。

侯成の食客が侯成の馬15頭を奪い逃げたことがあって、侯成は追いかけて馬を奪い返し、同僚たちから祝賀された。

後に呂布の部下として随従した。侯成は酒と猪肉を同僚に振る舞おうとを考え、先に呂布に献上してその許可を得ようとした。しかしこの時、呂布は禁酒中であったために怒り、侯成を面罵した。

198年、呂布に憤懣を抱いた侯成は、呂布が曹操に追い詰められ下邳城に立て篭ったとき、同僚の魏続・宋憲と共に反乱を起こし、呂布の参謀陳宮、高順らを捕縛して、曹操軍へ寝返った。これが基で呂布は曹操に降伏し、処刑された。


演義

小説『三国志演義』では、呂布配下の八健将の1人(序列第8位)として登場する。曹操との戦いでは、曹操を後一歩まで追い詰めるものの、曹操軍の典韋に撃退される。呂布に酒肉を献上するくだりは史実と同様だが、さらに呂布から罰棒50回の刑を加えられている。その後、呂布の赤兎馬を盗んで曹操に降り、魏続・宋憲と協力し、呂布・陳宮を生け捕りにしたことになっている。その後は登場しない。

小説『三国志演義』において呂布配下の武将である張遼、臧覇、郝萌、曹性、成廉、魏続、宋憲、侯成の8人を指す。

なお「健将」とは、本来は猛将、勇将という意味を持つ語であり、『後漢書』呂布伝で成廉と魏越が、このように表現されている。


見解

曹操に寝返ったその後は、演義正史ともに記述がない。