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三国志入門


三章:黄巾の乱

さて、三国志は184年の黄巾の乱がきっかけで始まったと言っても過言ではありません。

黄巾の乱とは、太平道を掲げて張角(ちょうかく)が起こした農民反乱のことです。名称は、黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いたことです。

反乱の首謀者である張角は、元々は漢王室に仕えた人物で中常侍と敵対していた一人だった説があります。

漢の皇帝霊帝は、病弱であり政治を治めることができず、中常侍らが掌握し、重税による悪政や飢饉災害の放置により、格差の広がりは増え続けました。中常侍に逆らえば、反逆罪として罪に問われ流罪、もしくは死刑となることに、誰も手出しができないことを理由に好き勝手に中常侍の悪政が蔓延っていたとされます。

漢王室とは、三国志時代に漢という国が中国を治めておりました。ご存知、400年間の歴史を持つ劉邦が建国した漢国です。
中常侍とは、簡単に言うと宮廷に仕える宦官であり、皇帝に気に入られたことを良いことに悪政にて漢を衰退させた原因となった人物らの通称役職です。三国志演義では、十常侍として10名の宦官が登場します。

「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」(蒼天已に死す 黄天當に立つべし 歳は甲子に在り 天下大吉)

このスローガンを掲げ、農民が一斉に蜂起して一大反乱が起きました。これに乗じて、ならず者らが各国で賛同して混乱を招くことになります。

張角は、太平妖術の書を南華老仙から譲り受け、飢饉や飢えに苦しむ農民らを助けるために立ち上がる描写が演義でありますが、元々は太平道という宗教であり、その教えの下で反乱を起こしたものです。

張角には二人の弟がおり、張宝、張梁をそれぞれ地公将軍、人公将軍として演義では妖術を使ったりします。

漢はただちに官軍を派遣して黄巾の乱の鎮圧に尽力するのです。そして平和のために立ち上がったのが、演義の主人公である劉備玄徳は、関羽、張飛、簡雍らと義勇軍を結成し、官軍と共に黄巾の乱を平定するのです。
劉備のライバル曹操も官軍として従軍して活躍し、三国一角を担う呉の孫策、孫権の父、孫堅も黄巾の乱平定に公績を挙げます。

黄巾の乱の首謀者張角は、あえなく病死したことにより一時反乱は治まるのですが、反乱の影響は各地で大きな影響を受けており、簡単に治まることはありませんでした。
また、この功労を巡って漢王朝では、大将軍何進(かしん)と中常侍らの争いが起きます。

ここまでの流れで考えますと、反乱を抑えるために、誰もが漢のため国のために尽力することが判ります。では、何故各地で天下統一の野望を持ち、争いが起こるようになるのか、この黄巾の乱による権力争いが火種を起こすのでありました。

この争いにより漢王室の更なる衰退が加速し、いよいよ群雄割拠に生きる主要人物らが登場します。