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二十六章:孔明の南蛮行

劉備死後、諸葛亮は呉と同盟を結び魏と対峙することに成功しました。

幼い劉禅が帝位に就いて間もなく、まだ内政的にも尽力すべきところでしたが、内乱が勃発するのです。南蛮において孟獲(もうかく)が、各諸侯らをまとめて反乱を起こし、蜀へ攻撃を仕掛けました。

蜀の王伉(おうこう)、呂凱(りょがい)らは進行をなんとか食い止め、蜀の本隊が到着するまで建寧において時間を稼ぎました。

演義では、諸葛亮は急ぎ軍をまとめ、魏延、馬岱らを先陣として派遣します。南蛮軍は蜀兵の強さを知らず挟撃され、あっという間に孟獲は捕えることになります。なんとか彼を心服させ、南蛮を治めてもらおうと考え、参謀の馬謖は「力ではなく心で攻めて心服すべき」と提案し、孟獲は放たれます。

孟獲の七縦七禽、つまり孟獲は七度捕まり七度保釈され、改心するという演義の創作話があります。

二度目、南蛮の阿会喃(あかいなん)、董荼那(とうとぬ)、金環三結(きんかんさんけつ)らを捕え、諸葛亮は三名を裏切らせて孟獲を欺き捕えることに成功します。

三度目、今度は孟獲は心服したと装い、諸葛亮に財宝を送って降伏を偽ります。その隙を狙って諸葛亮を殺害するつもりでしたが、その策は露見されて逆に捕まってしまうのでした。

四度目、蜀軍は陣営を捨てて突然消えてしまったのを孟獲は、蜀で重大なことが起きていると察知し、妻の祝融(しゅくゆう)と弟の孟優(もうゆう)で追撃しました。しかし、蜀軍の伏兵に遭い、あっさりと捕獲されます。

五度目、朶思大王(だしだいおう)と計らって毒泉で蜀軍をおびき寄せて陥れる策に出るのですが、朶思大王の部下・楊鋒に裏切られその毒泉はかわされ、城を包囲され全滅し捕えられます。

六度目、帯来洞主(たいらいどうしゅ)と手を結び、象兵と虎を使い蜀軍を襲うのでした。しかし、諸葛亮は動物の軍勢に対抗するべく、竜を装った兵器を使って虎や象を脅かし、朶思大王を討ち取ります。そして孟獲も捕獲。

七度目、主城をすべて奪われた孟獲は、更に深い南(現在のタイ)のほうへ逃走するのでした。そこには兀突骨(ごつとつこつ)率いる藤甲兵がおり、弓も槍も通さない強兵として知られております。しかし諸葛亮はその藤甲兵を瞬時に見抜き、敗走を装いながら敵をおびき寄せました。藤甲兵とは油を何度も重ね合わせて作った鎧を使っており、火薬を忍ばせた地雷と火計により全滅するのです。そしてまたもや孟獲は捕獲されるのでした。

こうして孟獲は死を覚悟するのですが、諸葛亮は再び保釈しようとするのに対して心服し、ここで孟獲は改心するのでした。諸葛亮は南蛮を平定して無事に成都へ凱旋するのです。

正史においても諸葛亮は、孟獲を捕えて心服しお互い認め合って平定したと記述されております。

さて、蜀の内乱を治めた諸葛亮はいよいよ魏討伐の北伐を興すことになります。