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曹操と劉備の英雄論

三国志入門


七章:曹操と呂布の戦い

董卓を暗殺し、董卓中央軍に敗れた呂布は、行く宛てもなく北方の袁紹を頼ることになります。

袁紹に世話になることへの恩返しに、北方で暴れる黒山賊の討伐に尽力するのですが、呂布の一部の兵による略奪行為に袁紹が激怒して、呂布は北方を追われることになるのでした。

再び呂布は放浪の末、張バクを頼り快く受け入れてもらうのですが、袁紹と張バクは犬猿の仲であり、それを面白く思わない袁紹との対立がますます激しくなるのでした。袁紹は曹操に張バクを殺害するよう伝えるのですが、それを拒否したため、二人の盟友に亀裂が走ります。

曹操は陳留において、黄巾残党を降伏させおよそ30万の兵力を加え、その勢力は拡大、青州兵と名づけ力をつけました。曹操は盤石な体制で、父曹嵩を迎えて親孝行をしようと思い呼び寄せるのですが、徐州の陶謙軍の兵に殺害されてしまうのです。

これに激怒した曹操は大軍を率いて徐州へ攻め込みます。激怒した曹操は、歴史に悪行として残すほどの大量虐殺を行い天下への信頼を失いかけます。また、徐州に滞在していた劉備もこれに迎え撃ち、窮地に陥ります。

しかし、曹操に異変が起きます。親友であった張バクが呂布と組んで曹操の領地に攻めこみ、更に旗揚げから付き添っていた陳宮が裏切るなど、騒然として曹操はすぐに陳留へ引き返すのです。

曹操軍の荀イク、夏侯惇らが必死の抵抗により呂布軍に領土を掌握されることは阻止、両軍は睨みあい続けて、イナゴの大飢饉による災害により一度、和睦をし停戦するのがやっとでした。だが、ここで曹操は呂布軍が隙を見せた瞬間に虚を突き、見事に敗走させ、曹操が勝利を収め張バクらの支配していた領地を占拠して中原を制覇します。

呂布は袁紹軍からも追撃され、放浪することになります。

そして曹操軍から絶体絶命のピンチを脱した徐州では、陶謙が病に倒れ劉備が徐州牧として初めて城を手に入れるのでした。

次回はいよいよ呂布の最期、そして袁紹の弟、自ら皇帝を名乗り天下より信頼を亡くした袁術の話です。