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| 姓名 | 諸葛喬 |
|---|---|
| 字 | 伯松 |
| 生没年 | 204年 - 228年 |
| 所属 | 蜀 |
| 能力 |
統率:
武力:
知力:
計略:
政治:
人望:
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| 推定血液型 | 不明 |
| 諡号 | --- |
| 伝評 | 諸葛瑾の次男で、諸葛亮の後継ぎとして養子となった人物 |
| 主な関連人物 | 諸葛亮 諸葛瑾 |
| 関連年表 |
219年 駙馬都尉となる |
諸葛喬、字を伯松という。父は諸葛瑾、兄は諸葛恪、子は諸葛攀がいる。もとの字は仲慎といった。
最初、諸葛亮にまだ子供がなかったとき、諸葛喬を後継ぎに求めたところ、諸葛瑾は孫権に言上して、諸葛喬を西にやって諸葛亮の後継ぎにした。その際、字を改めた。
諸葛喬は駙馬都尉を拝命し、諸葛亮について漢中にやってきた。
228年、若くして亡くなった。享年25。
兄の諸葛恪とともに当時評判が高かったが、論者の意見では、諸葛喬は才能では兄に及ばないが、性質は兄より秀ているといわれていた。
諸葛亮が兄の諸葛瑾に与えた手紙に、「喬は本来成都に帰るべきでありますが、いま諸将の子弟はみな輸送の任にあたっておりますので、彼らと栄辱を相い等しくすべきだと思います。いま喬に五、六百の兵を指揮させ、諸将の子弟とともに谷中での輸送に当たらせます」と送ってる。