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三十一章:第三次北伐戦

諸葛亮は再び丞相の位に復帰し、三度目の北伐を開始しました。魏軍はあえて出撃することを避け、兵糧攻めを狙うのでした。

諸葛亮は、魏の曹真が病にかかっていることを知り、手紙を送り挑発するのです。手紙には罵倒を重ね、無能なる大将軍などと侮辱しました。それに大激怒した曹真は司馬懿に軍を託して憤死するのです。

司馬懿はここで初めて大都督として最高司令官になったのでした。

さて、諸葛亮のライバルとして有名な司馬懿についてすこし語りたいと思います。
字を仲達といい兄弟みな秀才にして司馬八達と評されました。兄に司馬朗(伯達)、弟に司馬孚(叔達)、司馬馗(季達)、司馬恂(顕達)、司馬進(恵達)、司馬通(雅達)、司馬敏(幼達)となります。

兄の司馬朗は先に曹操に仕えて政治に尽力しておりました。司馬懿は漢室の衰退を見かねてどこにも出仕する気がなく、野に降っていたのです。しかし曹操は司馬懿の才能を買い、出仕を迫りますが、司馬懿は頑なにこれを拒否しました。

すると曹操は暗殺を目論見ますが、司馬懿の堂々とした態度に曹操は殺すことを惜しみます。やがて無理やり司馬懿を出仕させることになったのですが、曹操時代は特に献策することもなく、周囲の疎まれを避けていたのです。

曹操が逝去し曹丕が帝位に就くと、司馬懿は曹丕に信頼を得られここから彼は表舞台に脚光を浴びることになるのです。曹丕が早世して幼い曹叡も司馬懿を信頼して重く用いり、蜀の北伐から守る役目を担うのでした。

こうして司馬懿が台頭する機会が巡り、諸葛亮と渡り合う人物として天下に名を知らしめます。

最高司令官となった司馬懿は、諸葛亮に宣戦布告の書簡を送り、正々堂々と戦おうと応戦するのです。諸葛亮もこれを受け、陣形合戦が始まるのでした。蜀軍は八卦の陣を敷いて備え、司馬懿は当然この八卦の陣を破る術を持っていました。

諸葛亮なら裏をかくであろうとして予測していた通りに計算されていた八卦の陣を突破しますが、諸葛亮はその裏の裏をかいて張虎(ちょうこ)、楽綝(がくちん)らを捕らえることに成功します。しかし両将を放ち、司馬懿を小ばかにして挑発するのでした。

またもや蜀軍が大勝利したのですが、蜀の皇帝劉禅が突然の勅令により帰国命令を下しました。これに諸葛亮らは驚き、何か重大なことが起きていると思い、無念ながら撤退したのです。

蜀の李厳が北伐軍の兵糧輸送責任者として兵糧が困難だったため、難癖をつけて蜀軍を撤退させたのでした。諸葛亮はこれに激怒して死罪を言い渡すのですが、今までの功績を考慮して、平民に落として流罪としたのでした。

度重なる北伐もいよいよ後半へと続きます。