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魏伝


高覧 こうらん

姓名高覧
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生没年生没年不詳
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評演義では猛将として描かれている武将
主な関連人物 曹操 張郃 
関連年表 200年 官渡の戦い

略歴

高覧といい、字も出身も不明である。

袁紹の配下として先鋒を務めた。

200年10月、官渡の戦いで烏巣が曹操によって攻撃された。張郃と共に曹操の本陣に攻撃を仕掛けるため、先鋒を任された。しかし結局攻め落とせず、曹操は烏巣を陥落させて、本陣に引き返してしまった。そのため曹操の大軍に囲まれてしまい、張郃と降伏した。


見解

張郃と異なって、その後の活躍などは一切記されてない。また、郭図が張郃を讒言した話は正史にもあるが、高覧については触れられていない。姓名ともに改名した可能性もある。


演義

『三国志演義』では、顔良・文醜亡き後の袁紹軍において、高覧は張郃と共に2枚看板的な勇将として登場する。

官渡の戦いでは許褚と互角に一騎討ちを繰り広げた。

烏巣の兵糧庫が曹操軍に急襲された際には、高覧は張郃と共に曹操軍の本陣を攻撃したが、反撃を受けて大敗を喫っしてしまう。すると、本陣攻撃を進言した郭図が、自分の作戦の失敗を押し付けようと図り、張郃と高覧について袁紹に讒言する。また一方で郭図が、張郃と高覧に袁紹が2人を粛清しようとしていると連絡したため、怒った高覧は袁紹からの帰還督促の使者を斬り捨て、さらに張郃も説き伏せて共に曹操に投降することとなっている。

曹操は降伏してきた高覧を、偏将軍・東萊侯に封じる。

その後、高覧は張郃と共に先鋒を務め、袁紹軍を撃破している。倉亭の戦いでは、右翼5番手として戦い、またしても袁紹軍撃破に貢献する。

また、汝南で勢力を築きつつあった劉備の討伐に参加し、反乱軍の一人劉辟を討ち取るなどして、劉備を自害寸前まで追いつめている。しかし、救援として駆けつけた趙雲に馬上から突き落とされ生死不明となり、以後登場しなくなる。