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姓名 | 尹黙 |
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字 | 思潜 |
生没年 | 生没年不詳 |
所属 | 蜀 |
能力 | 統率: 武力: 知力: 計略: 政治: 人望: |
推定血液型 | 不明 |
諡号 | --- |
伝評 | 広い視野で学問を遊学し、司馬徽、宋忠らに師事した学者 |
主な関連人物 | 劉備 諸葛亮 劉禅 |
関連年表 |
214年 勧学従事となる 221年 太子僕となる 223年 諫議大夫・軍祭酒となる 234年 太中大夫となる |
尹黙、字を思潜といい、梓潼郡フ県の人である。子は尹宗がいる。
益州には今文の学(秦以降の新字体のテキストを用いる解釈学)を尊重するものが多くて、字句の正確な読みを重視しなかった。尹黙はそのような学問の狭さに気がついたので、遠く荊州に遊学して、司馬徽、宋忠らについて古文の学を習った。すべての経書・史書に通暁し、さらに『左氏春秋』を専門的にくわしく研究し、劉キンの条例をはじめとし、鄭衆・賈逵父子・陳元・服虔の注説に至るまで、ほとんど全部暗誦し、二度と書物を調べる必要がなかった。
劉備は益州を平定し、牧を兼任すると、尹黙を勧学従事に任命した。太子を立てるに及んで、尹黙を太子僕とし、『左氏伝』を劉禅に教授させた。
劉禅が即位すると、諫議大夫に任命された。丞相諸葛亮が漢中にいたとき、要請して軍祭酒にした。
諸葛亮が没すると、成都に帰還して、太中大夫に任命され、亡くなった。享年不明。
小説『三国志演義』にはほぼ名のみの登場である。