登録人物伝 326 名 | 31人が閲覧中
姓名 | 王謀 |
---|---|
字 | 元泰 |
生没年 | 生没年不詳 |
所属 | 蜀 |
能力 | 統率: 武力: 知力: 計略: 政治: 人望: |
推定血液型 | 不明 |
諡号 | --- |
伝評 | 後年、州で王謀の後を継ぐ人物はいないと言わしめた政治家 |
主な関連人物 | 劉備 諸葛亮 蔣琬 |
関連年表 |
214年 別駕となる 219年 少府となる 223年 太常となる |
王謀、字を元泰といい、漢嘉郡の人である。
劉璋時代、巴郡大守となり、帰還して州の治中従事となった。
214年、劉備は益州を平定し、牧を兼任した際、王謀を別駕とした。
219年、劉備は漢中王となると、荊楚の名族で零陵出身の頼恭を太常に、南陽出身の黄柱を光禄勲に、王謀を少府に起用した。
220年、許靖、諸葛亮らと共に、劉備に即位するよう願う上奏文を奉呈した。
223年、関内侯の爵位を賜り、のちに頼恭に代わって太常となった。
後年、大将軍の蔣琬が張休に「漢嘉郡の先輩に王元泰という者がいたが、現在彼のあとを継ぐ人物は誰か」とたずねると、張休は「王元泰ほどの者は州でもあとを継ぐ人物はおりません。まして私の郡では、とても、とても」と答えた。彼が重んじられていたのは、これほどのものであった。
陳寿の評によると、動作は礼にかない品行が正しかった。しかし、王謀の事跡が伝わってないため、伝が作られなかった。
『三国志演義』では、劉備の即位時に名前が登場しているのみである。