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姓名 | 周羣 |
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字 | 仲直 |
生没年 | 生没年不詳 |
所属 | 蜀 |
能力 | 統率: 武力: 知力: 計略: 政治: 人望: |
推定血液型 | 不明 |
諡号 | --- |
伝評 | 未来の兆候となるような事象を予言し、多くを適中させた人物 |
主な関連人物 | 劉備 |
関連年表 |
214年 儒林校尉となる |
周羣、字を仲直といい、巴西郡ロウ(ロウは門構えに良)中県の人である。父に周舒、子に周巨がいる。
幼いころから周舒より図讖(としん)学を教えられ、自然現象などから未来の兆候を探る学問に専念した。庭内に小楼を作り、家が豊かで奴僕がたくさんいたため、いつも奴僕に楼の上の当番を交替でつとめさせ、天空におこる異変を観察させた。
ちょっとした天空における現象を見つけても、即刻周羣に報告し、周羣は自分で楼に登ってそれを観察して、朝でも夜でもおかまいなしであった。だから、だいたい未来の兆候となるような事象は、見落とすことがなかった。そのため彼の予言は多く適中した。
州牧の劉璋は、召し出して師友従事に任命した。
劉備は蜀を平定すると、儒林校尉に任じた。劉備は曹操と漢中の地の覇権を争うつもりで周羣に諮問すると、周羣は、「その土地を手に入れられるにちがいありませんが、その住民を手に入れることはできないでしょう。一部隊を出すだけなら、必ず負けます。その点を警戒し慎重を期されるべきです」と答えた。
当時、州の後部司馬であった蜀郡の張裕もまた天空の自然現象による予言の術に造詣が深く、しかも天賦の才では周羣を上回っていたが、劉備を諌めて、「漢中の覇権を争ってはなりません。我が軍は必ず負けます」といった。劉備はけっきょく張裕の進言を採り上げなかったが、果たせるかな、土地を手に入れながら住民を手に入れることができなかった。
将軍の呉蘭、雷銅らを派遣して武都に侵入させたが、全滅して帰還できず、すべて周羣の予言どおりになった。そういうことから周羣を茂才に推挙した。
周羣がなくなると、子の周巨がよくその技術を受け継いだ。享年不明。
『続漢書』によると、202年、越スイで男が女に変身するという事件がおこった。そのとき周羣は、前漢の哀帝時代にも同じことがあり、それは王朝が交替するしるしである、と述べた。25年後の220年、後漢の献帝が予言どおり帝位を譲って山陽公に封じられることになった。
207年10月、朱鳥七宿の尾部にほうき星があらわれ、それは荊州の分野(天上の星座に対応する地方)に該当した。周羣は、荊州牧(劉表)が死亡し領土を失うであろうと予測した。翌年秋、劉表が亡くなり、曹操が荊州を平定した。
212年12月、ほうき星が五諸侯(東井<星座の名>の北にある五つの星)に出現した。周羣は、西方において領土をもっているものはみな領土を失うであろうと予言した。このとき、劉璋は益州を、張魯は漢中を、韓遂は涼州を、宗建はフカンを支配していた。翌年冬、曹操は一部隊長を派遣して涼州を攻撃した。214年、宗建を生け捕りにし、韓遂は羌中に逃走したが、殺害された。その年の秋、劉璋が益州を失った。215年秋、曹操は漢中を攻撃し、張魯が降伏した。