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曹操と劉備の英雄論

魏伝


董遇 季直とうぐう きちょく

姓名董遇
季直
生没年生没年不詳
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評読書百遍、義自らあらはるという名言を残した人物
主な関連人物 曹操 曹叡 
関連年表 196年 黄門侍郎となる
226年 侍中・大司農となる

略歴

董遇、字を季直といい、弘農郡の人である。

関中が乱れると、兄とともに将軍段ケイに身を寄せた。生活は苦しかったが、農事や行商の間にも経書を手放さなかった。

196年、郡から孝廉に推挙され、黄門侍郎にまで昇進した。董遇は献帝の寵愛と信頼を受けていた。

218年、吉本らの曹操暗殺計画が発覚し、董遇は参画していなかったが、なお取り調べを受け、閑職に遷された。

常に曹操の征西に随行していたが、ある時、董卓に殺された弘農王劉弁の墓前を通りかかった。参拝すべきか否か、曹操は左右に問うたが、誰も答えられなかった。

董遇は進み出て、「春秋の道理では、国君が即位して年内に死去した場合、君主とは認めません。弘農王は即位から死去まで日が浅く、暴臣に制せられて降等され、藩国におられました。従って参拝するに相当致しません」と言った。曹操はこの意見に従った。

220年、外に出て郡太守となった。

226年、曹叡が即位して入朝すると、侍中、大司農となった。

数年後、亡くなった。享年不明。


評価

性格は質朴で口数少なく、学問が好きだった。

彼の下で学ぶ者に対して、董遇は強いて教えない代わり「書物は必ず、まず百遍読まなければならない」と言い、「読書百遍、義自らあらはる」と言った。名言として、今に伝えられる。


逸話

初め、董遇は『老子』をよく学んで、その注釈を作った。また『春秋左氏伝』にも詳しく、『朱墨別異』を書いた。これは朱と墨を使って『春秋』と『左氏伝』を区別、注釈を加えたものである。

弟子が、「生活に苦しくて閑がありません」というと、董遇は「三つの残りを勉学に充てよ」と言った。その意味を訊ねると、「冬は歳の残り、夜は日の残り、陰雨は季節の残りである」と答えた。この教えで、彼の下で学ぶ者は少なく、彼の朱墨の書を伝えた者はいなかった。