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曹操と劉備の英雄論

魏伝


韓嵩 徳高かんすう とくこう

姓名韓嵩
徳高
生没年生没年不詳
所属
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評政治・外交において才能を発揮した政治家
主な関連人物 曹操 
関連年表 208年 大鴻臚となる

略歴

韓嵩、字を徳高といい、荊州南陽郡の人である。

曹操と袁紹が管渡で対峙している間、江漢一帯を保有しつつ、劉表は天下の形勢を見守っていた。この時、袁紹から救援の要請があり、劉表はいったん承諾を与えたが、依然として動かなかった。

従事中郎韓嵩と別駕の劉先は、煮え切らない劉表に進言した。「曹・袁両雄が睨み合っている今、どちらに天下が傾くかは将軍の動き如何にかかっています。もし大事を成すお気持ちがあるのならば、二人の疲弊に乗じて起つべきですし、そうでなければ、服属する相手をお選びになるように。将軍が十万の兵を擁しながら、応援もせず和睦もせず、このままの状態をお続けになるならば、彼らの怨みは将軍に集中し、とても中立は守り通せません。」さらに加えて、「曹公はその明哲の故に、天下の賢俊はみな帰服し、その勢いからして必ず袁紹を滅ぼします。その後、兵を率いて江漢に向かえば、我らは拒ぎ切れません。将軍が州を挙げて曹公に帰服するのが万全の策でございます」と言った。

謀臣蒯越も同じ意見で、帰服を勧めたが、劉表は狐疑逡巡して挙句、韓嵩を派遣して早々の実情を観察させた。

劉表は天下がどうなるか知ろうとして、許に天子を奉じている曹操に、何か弱みがないか、韓崇に探ってくるよう命じたが、韓嵩は帰って来て深く曹操の威徳を述べ、子を人質として差し出すよう進言した。

韓嵩は「今、臣として名を連ね、将軍を主君と仰いだ以上は、御命令のためには水火も辞めさない覚悟です。わたくしが思いますに、曹公は極めて英明で、必ずや天下を救済するに違いなく、将軍は上は天子に順い、下は曹公に気服されますならば、百代の後ろまでその福を享受出来ましょう」と言った上で、こう念を押した。「帰服するお気持ちで嵩を使者となされたのなら宜しいのですが、まだどうするか決めておられないならば、問題があります。嵩が都に出向き、天子の臣となり、嵩に一官をお与えになると、その時は天子の臣となり、嵩は将軍の故吏となります。『主君が在れば臣は主君の為の図る』という原則から、嵩は天子の臣として命令を奉じ、道理の上から考えて最早、将軍に命を捧げることは出来なくなります。どうかよく考えの上、私の気持ちを裏切らないようお願い致します」

韓嵩の予想どおり、献帝は彼を侍中に任じ、零陵太守に昇進させた。

劉表は「二心を抱いたか」と怒って斬り捨てようとした。韓嵩は「裏切ったのは将軍ではありませんか」と言い、先の発言を念押した。劉表の怒りは収まらなかったが、妻の蔡氏が「韓嵩は楚国の名門であり、またその言葉は率直で、処刑なさるだけの理由がありません」と取り成した。

劉表は処刑しないかわり、韓嵩を拘禁した。

208年、荊州を征した曹操は、韓嵩を大鴻臚に任じた。


演義

『演義』は韓嵩の助命を請うたのは蔡氏ではなく、蒯越の兄の蒯良だと変えてある。


見解

その後、曹操に仕えたあと何も記されていない。